『静かな家』へのコメント(高橋洋)


(「静かな家は」9/26,10/1に上映)

 自分が変質者だと気づいてしまった少女の話、なんだろう。
 それが美少女で、かつ学校でイジメにあってるとか友達とうまくいってないとかじゃなく、男子が喧嘩をしていれば体を張って止めるぐらいのしっかりしたヤツ、という描き方が秀逸で、ひょっとしてこれはかなりの鉱脈を発見しかけていると言ってもいいんじゃないか。
 そういう変質者ぶりをカミングアウトできる相手と言えば、父親しかなく、そこで父親はザワザワと自分が男であることに気づかざるを得ないのだから、リンダ・ブレアから「おまえは宇宙で死ぬ」と言われた宇宙飛行士のように困惑して立ち尽くすしかない。
 そうか、欧米では、美少女だって変質者だったりするんだよ!と気づいてしまった人たちがオカルト映画に巧みにその主題を織り込ませていたのかも知れない。『悪魔の性・キャサリン』とか。欧米は不埒なことを描くのに色々気を使わねばならないのだろうな。
 そこへいくと日本は不埒なことを平然とリアリズムでやれるからよい。悪魔など導入すると、不埒さはジャンル映画的にエスカレートせざるを得ないが、日本では火付けなどという大罪を犯しながら玄関で転んでしまう危うさを描けるのだ。
 もっとも父親もいつまでもオロオロしているだけではいけない。それではそこらの男と同じになってしまう。娘の変質者ぶりを際立たせるためにも父親は父親でなくてはならないのだ。娘からプレゼントされたお気に入りのネクタイや靴下が万引きしたものだと告げられた時、そこで絶句してはいけないだろう。あそこで父親は父親としてのもっともっと素晴らしい台詞が言えるはずだ。その父の思いを乗せた台詞こそが彼女の変質者ぶりを痛ましく引き裂く。そういうことが出来るはずだ。
 この父と娘の関係にまるでカップルのごとき気配を漂わせるという難しい案配については、師匠である大工原正樹が『ホトホトさま』の姉弟関係でやってみせた絶妙さにまだまだ及んでいない。キッチン・テーブルに娘を押し倒すといった判りやすいことをしなくても、大工原正樹ならたぶん…。しかし師匠が何でこの映画を今回の併映作に選んだかは実によく判るのだ。
 フィルム原版によるらしい画像の乱れが一部にあるが、あの効果はちょっと悔しいくらいよい。
 いや、厳密に言えば、乱れが起こる最初の引きのショットが実に素晴らしい。中学生たちが廃墟でたわいもない遊びをしてるだけなんだが、あそこでも少女はこっそり後ろ手で、自分の変質者ぶりを噛み締めているのだよね。

高橋洋:映画監督・脚本家(『旧支配者のキャロル』『恐怖』『リング』他)