『正当防衛』というタイトル(高橋洋)

 
(正当防衛は9/26,10/5に上映)

 だいたい監督の伊野沙紀は日本語がおかしい。この映画の原案はすでに入学時に提出された企画書段階で出来上がっていたのだが、どうしてそれが『正当防衛』というタイトルなのか、僕はさっぱり判らず、そもそも正当防衛って何なのか判ってる?というところから議論はスタートした。
 そう言えば伊野沙紀が撮って来た『眼には眼を』というタイトルのビデオ課題も、「私、ハムラビ法典が好きなんです」と言ってる時点ですでに不安を覚えていたのだが、親に殴られた娘が風呂場で親を刺し殺してしまい、どこが「眼には眼を」なんだ、過剰報復を戒めるのがハムラビ法典だろうが!と叫びたくなる映画だった。
 そんなわけで、僕は伊野沙紀の日本語のおかしさを何とか判らせようとし、シナリオ直しでも「で、これのどこが正当防衛なわけ?」としつこく聞いたわけだが、直しも大詰めに差し掛かったある日、「彼女(ヒロイン)は会社を辞める正当な理由が欲しいんです!」と返事が返って来て、あ、やっと見えた、この映画に一本揺るぎのない骨が通ったと感じたのだった。
 で、だったらそこを書け、そこを書かなきゃ、この映画は映画にならんとやっと言えたのだよね。
 日本語としてはやっぱりおかしいのだけど、伊野沙紀はこの語感の強さをヒロインに託したかったのだ。どうやらこの人はそういう動物的直感で動く人らしい。
 それにしても、直して来たホンに「一応、シナリオはこういうことで。後は演出で」と書いてあった時は頭に来たなあ。
 シナリオをナメているとか、そういう次元ではない。何かもっと根本的なことがおかしい…。
 シナリオも演出もダメ出しの嵐が続いて…、『正当防衛』は何とか完成した。
 映画美学校のフィクション初等科修了製作は9期から尺は絶対15分以内にせよ、という厳命を下したのだが、13期の『正当防衛』は『わたしの赤ちゃん』と並んで、その15分への圧縮が功を奏した映画になった、と思う。
 もっとも伊野沙紀は何の反省もしていないと思う。現在、フィクション高等科で出してる彼女の企画はやっぱりタイトルが変だ。
 「スケールがデカすぎて、もう判りません」とかあり得ないメッセージも相変わらず書いてくる。
 もう怒るまい。彼女が直感がどんな暴走をするか見届けようと思う。

高橋洋:映画監督・脚本家(『旧支配者のキャロル』『恐怖』『リング』他)