『ミニチカ』へのコメント(高橋洋)

 
(『ミニチカ』は10/6,10/7に上映)

 新谷尚之が演じる狂人が写っているわけだ。しかし、我々が目撃したあの狂人とは、何であったのか、もう少し厳密に言わねばならない。
 あれは赤塚不二夫の漫画に登場する狂人の実写化なのである。
 大木原正樹がそう指示したかどうか判らないが、新谷尚之ははじめから完全にそれをやるつもりで現場に入ったに違いない。
 だってあの眼はどう見てもそうだろう。新谷尚之は赤塚漫画を自らの肉体で形態模写できてしまう、日本に残された数少ない演技者なのである。
 ただの狂人なら、ちょっと他のことに関心が移れば、恐竜のように移動していってくれるだろう。コツを呑み込んだ人がいれば、いともやすやすと誘導できるかも知れない。
 ひょっとしたら会話だって成立して、話しているうちに気が変わってくれるかも知れない。
 だが、新谷尚之には通じないのだ。何しろ、彼はあれをやりに来てるのだから。
 あの眼は自分が何をしているか全部判っている眼なのだ。
 もうダメ。
 自分がやると決めたことをやり終えるまで、彼はやめてくれない。
 『羊たちの沈黙』のレクター博士もそうだった。自分が何をしているか判っている。幻想の世界にはまるで生きていない。
 だからあの映画はハリウッド映画と赤塚漫画が遭遇しかけた危険な映画だったのだ。
 さすがにジョナサン・デミはその危険さに気づいていたと思う。
 もし、新谷尚之がキャスティングされていたら、レクターの牢獄が映し出される最初のカットから映画は破壊されていたであろう。
 クラリスとレクターの切り返しはまったくつながらない。というかジョディ・フォスターは帰る。
 ああ、でもそんな映画を見てみたい、身を任せてみたいという危険な誘惑が…。
 だから映画は恐ろしい。そして、このいまだ描かれざる領域を探査するのはもっぱら自主映画の役割なのだ。
 自主映画に関わる者はこの恐ろしさを知らねばならない。自分たちがまともなことをやってると思ってはいけない…。
 そんなわけで『ミニチカ』はTBSが作った自主映画なのだ。
 ああ、全然つながんない、と大工原正樹は現場でつぶやいたかも知れない。
 そこで深く静かにどうでもよくなる、それが大工原映画の胆力だと言えよう。


高橋洋:映画監督・脚本家(『旧支配者のキャロル』『恐怖』『リング』他)