『お姉ちゃん、だいきらい』自作解説(佐野真規)

「センパイ、お願い」

笑顔で可愛い女の子に頼まれたら断れる自信が全く無ありません。

仲間内で一日で取れるようなものを、という企画で制作を始めたはずが、一ヶ月に一度集まって撮影をし、撮了までに五ヶ月かかりました。追加撮影を含むと六ヶ月。後輩のかわいい女の子に出演してもらってニヤニヤしていたから時間がかかったのではありません。きっと。
出演はその女の子・久保紫苑と、内藤瑛亮(『先生を流産させる会』監督)、川口陽一(『土竜の祭』助監督、『Mっぽいの好き』主演)、制作応援を頼んでいた加藤綾佳
自分たちに出来る事を取捨選択し、出来るようにやること。ロックンロールの原理のように響くこの言葉が仲間内で作る小さな映画には大事なのだと思います。それを言い訳に小さく縮こまっていても駄目だと思いますが、映画で色々なことをやってみたい、自主制作でも出来る限りをやってみたい。その動機と一緒に、全く無い機材や、人材の限られた中で自分たちに出来る事をやるのだという割り切りと判断力が必要なのだと思います。

ぼくにはそれがあんまりありません。

困りました。拙作の撮影にあたって、いざやってみると現場はちんたらと進み、芝居や段取りに迷ったらキャストやスタッフに「うーん、どう思いますか? 」と聞きました。みんなワイワイと遊ぶように考えてくれて、雑多に提案してくれたので、「ああ、それいいですね」と他力本願にアイデアを頂きました。ゆっくりとした撮影ペースでちんたらしていながらも、幸いな事にみんなの力を借りて生まれた偶然がとても楽しかったという記憶が強く残っています。
 
今回、振り返ってみると拙作の登場人物たちは、みんな矛盾を孕んだ行動をしようとしていたのではないかと思います。「先輩」と「お姉ちゃん」は言葉では否定していても、自分の身体の求める事に抗えません。身体の欲求に従い押し流されていきます。言葉と身体的な行動とが矛盾しています。言葉では否定しているのですが、あっさりと身体の欲求に肯いて喜んで屈しています。一方、その両者が一致しているのはシオンとオッサン(お姉ちゃんの旦那)でした。だからシオンはオッサンのことが気に食わなかったのかしら。自分のことは棚に上げたうえで。

「そやで」

どこからかオッサンの声が聞こえます…

佐野真規