『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』へのコメント(藤原章)

『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』は主人公の姉弟が様変わりした故郷の港を歩くところから始まる。
「久しぶりだな〜、ずいぶん変わっちまいやがって!」
 港町を背にしてこんなセリフを口にすれば、自ずと作為的なアングルにもなろうというもの。いわゆる役者が《風景負け》してしまうというやつで、こうなると観客は興醒めだ。スクリーンからは冷たい潮風が吹きすさび、役者のセリフや体温が胸に迫ってこない。
『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』は絶えず姉弟の動向を追うことに注視している。その丹念な映像、ショットの連なりはスリリング。「背景」と「姉弟の息づかい」、それに「セリフ」のバランスが心地よく、スーッと同じ港町に立てた。浜の香りを嗅ぎながら姉弟と向き合えました。
『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』には様々な臭気が漂う。
 かつて姉弟が暮らしていたアパートは老朽化により黴臭く、どんよりとした空気が立ち込めていた。その臭いを象徴するかのような高橋洋が登場し、やはり加齢によるじめっとした人物を演じている。このシーンで発見があった。
 私事になるが自作『ダンプねえちゃんとホルモン大王』にも高橋洋が登場する。威厳のあるガンコ親父を演じており、それを強調するためカメラも常に仰ぐようなアングルだった。反して『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』では見下ろすような視点で撮られていたような気がする。もし錯覚ならば高橋洋そのものが身を屈め、卑屈 な表情(芝居)をしていたはず。そうでなければ高橋洋がベテラン俳優の江幡高志に見えるわけがない。
 江幡高志は(すぐ仲間を裏切りそうな小ずるい悪人)を演じれば天下一品。子供のころは大嫌いだったが自分が歳を経るごとに好きになっていく名脇役です。
 そんな高橋洋を惹きつけるのが姉ちゃんだけど、演じる長宗我部陽子もまた濃厚な臭気を発散させている。フェロモンという言葉では簡単に括れない、その、何というか…スメグマが発酵したような香りを連想させ高橋洋を惑わせる。このときのセリフに
「あいや〜、お母さんに瓜二つで別嬪だ…」
があるけれど、裏を返せば
「母親と同じ、堪んねえ匂いだ!」
となる。
 この堪んねえ匂いが最高潮になるのは姉弟が泊まった旅館シーン。風呂上り、浴衣がはだけた姉ちゃんの胸元から、これでもか!というほど女臭を放出させる。片や風呂嫌いの弟は、姉ちゃんにクンクン嗅がれ
「臭い臭い! あ〜臭い!」
軽蔑しているのか誘惑か、曖昧な素振りが印象的だった。
 ロケーションが素晴らしく、大工原正樹監督に伺えば千葉の木更津や富津という。奇しくも自作『ダンプねえちゃん〜』が隣り町の君津と富津ロケだった。木更津は不 良が多く、おっかないから遠慮した。
『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』について空間や人の臭気に触れてきたけれど、岡部尚が演じる弟の、前半と後半における心情の落差も綿密に計算されており、 演出や脚本(井川耕一郎)の妙が堪能できる映画でした。それらに加え、「蠱」にまつわる象徴的ショット。これが偶然に捉えられたという事実を知り、波に乗ってる撮影現場は奇跡が起こるものだと改めて確信する。

藤原章(映画監督:『ダンプねえちゃんとホルモン大王』『ヒミコさん(「野球人間」完全版)』『ラッパー慕情』)