『お姉ちゃん、だいきらい』へのコメント(高橋洋)

川口の胸毛がすべてだったと言いたい。
川口というのは同じ11期生で、年はそんなに離れていないのに、何故かオッサンに見えるという理由だけでキャスティングされたに違いないのだが、彼の胸毛を見るなり、魅力的なヒロインも他の出演者の好演も吹っ飛び、他のことが考えられなくなった。それもホンのチラ見程度だというのに。
親切なクムジャさん』のようにことさら胸毛を強調しないのがよい。いや、ひょっとしたら監督の佐野は、川口の胸毛の破壊力に気づいていなかったのではないか。
そういう無意識がより奥深い表現をもたらしたりするから映画は不思議である。
たぶん、その時、僕の視点はヒロインのそれとシンクロしたのだ。
姉と彼氏を何とか引き裂こうとする、ヒロインの衝動はあの胸毛が誘発したものに違いない。
だからヒロインは何としてでも、あの胸毛を剃り上げるべきだったのだ…。全然、違う話になっちゃうけど。
ところで、近年の映画美学校生のキャスティング能力は妙に上がっている。
キャスティングを大きく間違えるケースがあまりなくなっているのだ。
かつて大島渚は「演出の仕事の7、8割はキャスティングにある」と断言していたが、この数値は見直す時が来ているのかも知れない。
漫画の平均的画力が一挙に上がったように、キャスティングもまた7、8割を占める要素ではなくなりつつある。
むしろ勝負所はキャスティングに依存しない、それ以降の演出の領域に移行しつつあるのではなかろうか。


高橋洋:映画監督・脚本家(『旧支配者のキャロル』『恐怖』『リング』他)